地元の歴史にやたら詳しいシモダじいさんと一緒に、下田の開国の舞台を歩く連載「みなみと歩く 黒船の街・下田」。第4回は、ペリーロードからほど近い「宝福寺(ほうふくじ)」へ。
このお寺には、まったく毛色のちがう二つの幕末ドラマが眠っています。ひとつは坂本龍馬、もうひとつは唐人お吉。テーマは「なぜ土佐の龍馬の“脱藩”が、下田で許されたの?」です。
龍馬の脱藩が許された寺
宝福寺とは|日米和親交渉の本陣にもなった寺
宝福寺は、永禄2年(1559年)に開かれたと伝わる寺院です。幕末の嘉永7年(1854年)、日米和親条約の交渉にあたっては日本側の本陣となり、ここに下田奉行所が置かれました。開国という歴史の大きな局面で、何度も舞台になってきたお寺です。
坂本龍馬、脱藩を許される|勝海舟と山内容堂の謁見
文久3年(1863年)1月、土佐藩主・山内容堂が宝福寺に投宿していました。軍艦奉行並として下田に寄っていた勝海舟を容堂が招き、酒席で龍馬の脱藩赦免が談判されます。海舟が大杯を飲み干して見せ、容堂は白扇に瓢箪の絵と「歳酔三百六十回 鯨海酔侯」の句を記して赦免の証としたと伝わります。龍馬はこの赦しを得て表舞台へ羽ばたきました。二人が向き合った「謁見の間」が、今も寺に現存しています。
唐人お吉が眠る菩提寺
宝福寺は、悲劇の女性として知られる唐人お吉(斎藤きち)の菩提寺でもあります。天保12年(1841年)生まれで、初代アメリカ総領事ハリスにゆかりがあると伝わりますが、そのために世間の偏見を受けたといいます。のちに芸者に戻り、髪結いや小料理屋を営んだ時期もありましたが、晩年は不遇のうちに、明治23年(1890年)に世を去ったと伝えられます。境内にはお吉の墓があり、隣接する記念館に遺品や資料が展示されています。毎年3月26・27日には「お吉祭り」が営まれ、その生涯が静かに供養されています。
なぜ下田に、これほど幕末史が集まるのか
了仙寺・玉泉寺・ペリーロード、そしてこの宝福寺。下田の狭い範囲に、これほど開国の物語が密集しているのは偶然ではありません。江戸へ向かう船の風待ち港として栄え、幕府が下田奉行を置いた要衝だったこの町は、開国にあたって真っ先に外国と向き合う最前線になりました。だからこそ、ペリーもハリスも、そして龍馬やお吉の運命までもが、この小さな港町に足跡を残したのです。連載をここまで歩いてくると、ばらばらに見えた史跡が一本の線でつながって見えてきます。
宝福寺へのアクセス・拝観メモ
- 住所:静岡県下田市1-18-26
- アクセス:伊豆急下田駅から徒歩約5分
- 駐車場:普通車10台無料・大型バス2台
- 拝観:大人400円・中高生200円・小学生以下無料/8:00〜17:00/年中無休
- ※最新の拝観時間・料金は公式サイトで確認を
次回予告
いよいよ最終回・第5回は「寝姿山(ねすがたやま)」へ。下田ロープウェイで山頂に登り、黒船が入ってきた下田港を見下ろしながら、これまで歩いた開国の街をふり返ります。(近日公開)
▶ 連載の全体像は 開国の街・下田の歴史まとめ から。【第1回・了仙寺】/【第2回・玉泉寺】/【第3回・ペリーロード】もどうぞ。