【下田市】みなみと歩く 黒船の街・下田②|玉泉寺、ハリスが暮らした「日本で最初のアメリカ」
観光・レジャー 📍 下田市 📅 2026年6月18日 05:40

【下田市】みなみと歩く 黒船の街・下田②|玉泉寺、ハリスが暮らした「日本で最初のアメリカ」

地元の歴史にやたら詳しいシモダじいさんと一緒に、下田の開国の舞台を歩く連載「みなみと歩く 黒船の街・下田」。第2回は、柿崎(かきざき)にある「玉泉寺(ぎょくせんじ)」へ向かいます。

前回の了仙寺は「ペリー」の舞台でした。今回の主役は、ペリーの次にこの街へやってきた、もう一人のアメリカ人。テーマは「玉泉寺、ここがどうして“日本で最初のアメリカ”なの?」です。

お寺の本堂が、アメリカ総領事館になった

みなみ じいさん、前回の了仙寺はペリーでしたよね。今日の玉泉寺は、誰の舞台なんですか?
シモダじいさん 今日の主役はタウンゼント・ハリスだ。ペリーが「港を開け」と道をつけたあと、実際にアメリカ人として初めてこの国に住みついたのが、このハリスなんだよ。
みなみ 住みついた? 交渉に来ただけじゃなくて、暮らしてたんですか?
シモダじいさん そうだ。安政3年——1856年——の9月、ハリスはこの玉泉寺に「日本で最初のアメリカ総領事館」を開いた。星条旗を掲げてな。通訳のヒュースケンと一緒に、お寺の本堂でおよそ2年10か月も暮らしたんだ。
みなみ お寺の本堂が、アメリカの総領事館に…! なんだか不思議な絵ですね。でも、いきなり「ここに住みます」なんて、すんなり受け入れられたんですか?
シモダじいさん それがな、初めはもめたんだ。幕府はハリスの着任をなかなか認めようとしなかった。和親条約の日本語訳に行き違いもあってな、しばらく押し問答が続いた。それでも引き下がらずに居を構えたんだから、ハリスは相当に粘り強い男だったんだろうな。
みなみ 歓迎ムードではなかったんですね…。それでも住み続けたのはすごい。
シモダじいさん だろう。ここを拠点に、ハリスは江戸の幕府と粘り強く交渉して、のちの日米修好通商条約へとつなげていった。下田が「開国の入口」なら、玉泉寺は「外交が始まった家」というわけだ。
みなみ 歴史が動いた場所なんですね…。あれ、境内に石碑がいくつもありますね。
シモダじいさん 玉泉寺は「日本最初」がいくつもあってな。まず、境内には日本で最初の外国人墓地がある。黒船の乗員5人と、遭難したロシア船の乗員たちも、ここに眠っているんだ。
みなみ 外国の人のお墓まで…。じゃあ、あの牛の絵が彫られた碑は?
シモダじいさん よく気づいたな。あれは「日本で初めて牛乳が飲まれた」ことを記念する碑だ。ハリスが体調を崩したとき、滋養にと牛乳を求めた話が残っていてな。当時の日本人は牛の乳を飲む習慣がなかった。ハリスがいたことで、外交だけでなく、暮らしの文化まで動いたんだよ。
みなみ お寺ひとつに、外交も食文化も詰まってるなんて…! さっそく中を見たいです!
シモダじいさん うむ。ハリスがどんな暮らしをして、何を考えていたか——それを伝える資料館もある。じっくり見ていこう。
みなみ ハリスさん、遠い異国でここに2年以上も…。心細くなかったのかな。
シモダじいさん たった一人の総領事だ。心細さもあっただろうな。だがその辛抱が、日本とアメリカの本格的な付き合いの土台になった。前回の了仙寺も、この玉泉寺も、点じゃなく線でつながっている。下田の街は、歩くほどに歴史が立ちあがってくるぞ。

玉泉寺とは|黒船乗員も眠る瑞龍山の古刹

玉泉寺は、山号を瑞龍山(ずいりゅうざん)という曹洞宗の寺院です。もとは真言宗の寺でしたが、天正年間(1573〜1592年)に曹洞宗へ改められました。嘉永7年(1854年)の日米和親条約では、黒船乗員の休息所・埋葬所に指定され、開国の現場のひとつとなります。現在は境内一帯が国の史跡に指定されています。

日本最初のアメリカ総領事館とハリス

安政3年(1856年)、初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが下田に着任します。当初は幕府が着任に難色を示し、和親条約の日本語訳の行き違いもあって交渉は難航しましたが、最終的に玉泉寺に日本最初のアメリカ総領事館が開かれました。ハリスは通訳のヒュースケンとともに本堂で約2年10か月を過ごし、安政6年(1859年)に拠点を移すまで、ここで日本との交渉にあたりました。玉泉寺で重ねられたやり取りは、やがて日米修好通商条約へと結実していきます。

ハリス記念館|幕末開国史の第一級資料

境内の「ハリス記念館」では、ハリス総領事の愛用品や関連の古文書のほか、吉田松陰ゆかりの遺品、ロシア船ディアナ号の将校が撮影した日本最古級の銀板写真など、幕末開国史の第一級といえる資料が展示されています。教科書の中の出来事が、すぐ目の前の「実物」として迫ってくる場所です。

境内の「日本最初」|外国人墓地と牛乳の碑

玉泉寺には「日本最初」がいくつも残ります。境内の日本最初の外国人墓地には、ペリー艦隊の乗員5名と、伊豆沖で被災したロシア船ディアナ号の乗員3名・アスコルド号の乗員1名が葬られています。さらに、ハリスにまつわる逸話から生まれた「牛乳の碑」も。日本人に牛乳を飲む習慣がなかった時代の、文明開化の小さな一歩を伝えています。

玉泉寺へのアクセス・拝観メモ

  • 住所:静岡県下田市柿崎31-6
  • アクセス:伊豆急下田駅から徒歩約25分。バスなら「須崎・爪木崎行」で柿崎神社前下車、徒歩2分
  • 駐車場:あり(山門横・玉泉寺駐車場)
  • ハリス記念館:開館8:30〜16:30/拝観料 大人500円・小人200円/年中無休
  • ※最新の拝観時間・料金は公式サイトで確認を

次回予告

第3回は、了仙寺へと続く石畳の道「ペリーロード」へ。ペリーが軍楽隊を率いて行進した参道が、なぜ今のレトロな散歩道になったのかを歩きます。(近日公開)

▶ 連載の全体像は 開国の街・下田の歴史まとめ から。前回【第1回・了仙寺】もどうぞ。

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この記事を書いたライター

みなみ
みなみ 観光・アウトドア担当

伊豆の海とアウトドアが大好きなライター。ヒリゾ浜から弓ヶ浜まで、透明度・波高・混雑度を毎回確認した上で、「今行く価値があるか」を正直に伝えます。

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