あじさいで有名な下田公園、実は「城」だった|鵜島城と後北条水軍、豊臣14,000に挑んだ50日
観光・レジャー 📍 下田市 📅 2026年6月24日 03:48

あじさいで有名な下田公園、実は「城」だった|鵜島城と後北条水軍、豊臣14,000に挑んだ50日

6月の下田公園といえば、約15万株・300万輪ともいわれるあじさいで全国に知られているな。だがな、あの花が咲いている丘そのものが、実は「城」だったって知ってるか? 正式には鵜島城(うしまじょう)、別名・下田城。あじさいを見にきたついでに、ちょっとだけ昔の話につきあってくれや。おもしれー話があってよ。

下田湾に突き出た、後北条水軍の城

この城が築かれたのは1588年(天正16年)。築いたのは小田原を本拠にした後北条氏で、当主・北条氏直の名が伝わっている。下田湾に突き出た「鵜島」と呼ばれる半島の丘を丸ごと使った平山城で、三方を海と崖に囲まれた天然の要害だ。なぜここに城を構えたか――答えは海よ。当時の後北条氏にとって、伊豆半島の南端で太平洋ににらみをきかせる水軍拠点が必要だったんだな。

14,000の豊臣水軍に、わずか600で50日

城の名が歴史に刻まれたのは1590年(天正18年)。豊臣秀吉の小田原攻めにあわせて、長宗我部元親・九鬼嘉隆・脇坂安治らを主力とする総勢14,000余の豊臣水軍が、この下田城に押し寄せた。対する城将は清水康英、守備兵はわずか600余。数では20倍以上の差だ。それでも海と崖の地の利を生かして50日間も持ちこたえた、と伝わっている。最後は開城したが、伊豆半島でも最大級といわれた堅城が、ここ下田にあったわけだ。今も本曲輪跡には「鵜島城址」の石碑が立っている。

あじさいの丘から、開国の海を見下ろす

戦国の城が幕末には別の意味を持つ。この丘のふもとが、ペリー来航で開かれた下田の港だ。園内には開国の歴史を伝える記念碑もあり、展望台からは下田港と黒船が入ってきた海が一望できる。花の名所として歩くもよし、城跡として土塁や堀切の名残を探すもよし。同じ丘で「水軍の城」と「開国の港」の両方の物語に出会えるのが、下田公園のおもしろいところよ。

アクセス・見どころ

  • 所在地:静岡県下田市3丁目(下田公園・城山公園)、入園自由
  • アクセス:伊豆急下田駅から徒歩約25分。あじさい祭期間は会場周辺が混み合うため、公共交通や周辺駐車場の利用を
  • あじさい祭:例年6月開催(2026年は6月30日まで)
  • 合わせて歩きたい:ペリーロード・了仙寺など開国の街歩きと一日でつなげられる

花だけ見て帰るのはもったいない。足元の丘が、海をめぐる戦いと開国の舞台だったことを思い出しながら歩くと、いつものあじさいが少し違って見えるはずだぞ。

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Photo: Yamaguchi Yoshiaki (CC BY-SA 2.0) / Wikimedia Commons

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この記事を書いたライター

シモダじいさん
シモダじいさん 歴史・文化・農業担当

下田生まれ・伊豆半島育ちのベテランライター。黒船来航・ペリーロード・了仙寺から爪木崎の水仙群生まで、ガイドブックに載らないディープな話を知っています。

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